5月26日(木)晴れ
羽田空港へYCATからバスで向かう。早朝であり20数分で空港到着。空港内循環バスを国内線ゆきに乗り約10分ロス、それでも約束時間には十分間にあった。
羽田9時25分発(JAL)で上海虹橋空港(上海の旧空港)へ向かう。機内食は京料理然も味噌汁つき。流石JAL.。
ほぼ定時(現地時間11時半)に上海着手続を済ませホテルへ。
ホテルは5つ星の「上海龍之夢大酒店(ザ ロンジモント上海)」延安西路。
一休みの後、西岡さんと付近散策に…。地図が解りにくい為迷う事30分やっと目指す「静安寺」の方向が解る。ホテルの最寄り駅は「加油」(がんばれの中国語?)で印象に残る。靜安公園・南京路を約3時間散策して戻る。街にはAKBファッションやホットパンツの女性が闊歩していた。
夕食は馬汝宏先生(合宿等でお馴染の馬亜蘭先生の弟)ご一家の案内で「瑞福園酒家」の上海料理を楽しむ。馬先生一粒種の女の子が可愛いい。
5月27日(金)晴れ
早朝に食事(バイキング)を済ませ、出迎えの車で同里の古鎮に向かう。
今日1日の案内をお願いした日本人ガイドの大西幸子さん(ガイド誌に原稿を掲載している。)と手配どおり同里で落ち合った。
この街は、古い家々・路地・庭園・池水が1つの城砦のように纏まり、それぞれに生活があり、全体が庶民の観光地となっていた。この集落の重要文化財・世界遺産を適切な案内で半日掛けて回る。
蘇州に入り、将経国の生誕地で、林一派の毛沢東 暗殺謀議に使われたとされる地下室を見学する。
昼食は城壁を模った「蘇州美宮廷太平洋酒店(パンパシフィックホテル)」で飲茶。
午後はホテルと連なる「孔子廊(学問所)」城壁・水門等を観光する。
最終は、自然を活かした作りが特色の「滄浪亭」の亭・東屋・庭園散策。ここも世界遺産だ。
今日の行程はガイド大西さんの学力の光る1日だった。謝謝農(シャジャノン:上海語です)。
「蘇州」新駅から「上海虹橋」まで新幹線20数分で到着、タクシーでホテルへ、軽い夕食・中国マッサージ。
こうして、楽しく忙しい2日目が過ぎた。
5月28日(土)晴れ
早朝、部屋の窓から日の出を撮ろう(私の趣味)と試みたが、黄砂かスモッグか不明ながら視界不良で断念。
今日はFF会の公式行事「方芳チーム」と対局の日だ。
遅い朝食の後午前中いっぱい西岡さんと散歩。ホテルから南京西路まで〜。
静安公園の「ドーナッツキング」(「ダンキン」ではない)でコーヒー・ドーナッツで休息しホテルへ。
13時ホテルロビーで方芳さんと2年ぶりの再会。楚々とした美しさは相変わらずだ。
タクシーで今日の対局場、大寧の「方捷道場」へ向かう。
今回の対局相手はお馴染の方ばかり。方芳パパ・姜さん・張さん。
対局手合いは 中国チーム 方芳五段・姜三段・張三段・方パパ二段。
(敬称略) 日本チーム 岩月四段・西岡二段・佐波二段。
9局対局し5勝4敗で我がチームの勝利となった。
私は8回のツアー参加で始めて勝ち越した。
交流パーティーは方ママも加えて、中華レストラン「大唐年代」で豪華な中華菜を楽しむ。恒例の岩月さんの中国語スピーチ。佐波の分も含めて挨拶されたので。私の下手な中国語は省略。方パパの挨拶で印象に残った点。@震災・津波・原発と日本は大変な危機にあるが、日本人だから必ず立ち直ると考えている。A日中の民間レベルの交流で、12年間も続いているのは大変珍しい、これからも続けて欲しい。
中国語を一寸齧った私の印象:上海人は仲間同士は上海話で、岩月さんと話す時は普通話と使い分けてる様だ。
5月29日(日)上海は晴れ 羽田は雨
朝食後西岡さんとホテル付近の散歩。10時45分ホテルを後にする。
上海虹橋空港でパンダチョコと月餅を購入、何れも日本より高価格だった。心配された日本への台風接近も影響なく、上海虹橋空港はほぼ定刻の12時50分のフライトとなった。
機内は行き同様ほぼ満席だったが、国籍不明の和食を食べ終わると程なく羽田到着(ほぼ定刻の日本時間4時20分)となった。本当に近い。
帰路横浜で好物の日本そばを食べて帰宅。
今回の旅程は短かったけれど中身の濃い旅でした。お手配の岩月さん・同行の西岡さん有難うございました。
このツアーの参加者 西岡さん・岩月さん・佐波
以 上
1回戦
方芳五段〇―×岩月四段 |
姜 三段〇―×西岡二段 |
張 三段×―〇佐波二段 |
2回戦
3回戦
姜 三段×―〇岩月四段 |
張 三段〇―×西岡二段 |
方パパ二段×―〇佐波二段 |
4回戦
参加選手
中国上海チーム |
日本FFチーム |
方芳 五段 1勝0敗 |
岩月 四段 2勝1敗 |
姜 三段 2勝1敗 |
西岡 二段 1勝2敗 |
張 三段 1勝2敗 |
佐波 二段 2勝1敗 |
方パパ二段 0勝2敗 |
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計 4勝5敗 |
計 5勝4敗 |
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